私はくも膜下出血、脳幹出血を起こして2回ほど死後の世界を見ました。
2016年に脳幹出血で倒れて本来はそのまま死ぬ予定だったのですが、死にそびれてしまいました。

大半の人は死を恐れすぎるあまりに、やりたくもないことを我慢しています。
このような世界になったのも、社会やマスコミが人々を洗脳してからです。

もしも、過去に囚われずに、また来ぬ未来に不安を感じずに、今を生きることができればもっと素晴らしい毎日を過ごせると思います。
ここでは私の生い立ちや活動を語っていこうと思います。

石井数俊のプロフィールと取り組みについて

ここからプロフィールを記載していきます。
結構な長文になるでしょう。
仮にFacebookの石井さんの自己紹介をコピペします。

私は、皆さんに「怪しい人物」だと思われている可能性が大きいと予想されますので、その怪しさ詳細説明の意味でも(笑)自己紹介をさせていただきます。

生まれは静岡県浜松市。物心ついた頃から、自分が肉体という物質に閉じ込められて過ごす時間帯を常に不快に感じていました。なぜなら、この世界に生れてくる前はもちろん、就寝時間帯には肉体から解放され、地上の物理法則に縛られない本来の自由な姿に戻って活動できているという自覚が私にはあったからです。そんな地上肉体世界の中で唯一、その束縛を忘れられるものが「音楽」でした。非物質世界の「美」や「悦び」を、楽器やオーディオ機器という物質を介して顕現される世界であると、幼心にも私にはそう感じられたからです。ならばと、4歳で親が通わせてくれたピアノ教室でしたが、そこでは音を楽しむような感覚を得られず、すぐに止めてしまいました。人から何かを教わる事を極端に嫌うため、その他の塾や習い事とも無縁でして最終学歴は浜松の県立高校です。

中学高校在学中の私にとって最大の謎は、「感性が最も豊かで多くを吸収できるこの時期に、どうして皆は受験勉強などという無意味な時間の使い方に耐えられるのだろう?」でした。この物質世界は自分にとって全てが謎だらけ。あり余る若いエネルギーをぶつける対象を見出せないまま、度々発狂していました。かといって暴走族等の非行や大人社会へのあからさまな反抗態度には魅力を感じなかったため、自殺他殺を含む破壊願望を紛らわせるべく、あれこれ肉体酷使をして発散させる反面、よく部屋に籠って思索に耽ったり、ヘビーメタルに合わせて長時間ギターを弾いていました。

高校卒業の頃には、「なぜ物質世界に生まれてきたのか?」「生死とはどういうことなのかを皆が知らないのはナゼ?」「これほどまでに闇が優勢の社会ならば、この肉体で物質世界に留まり続けて生きる価値など本当にあるのか?」 その種の疑問解消以外にはほとんど興味関心が向かないような状態となり、歴史、宗教、哲学、心理学、先端科学…等々の情報を漁り続けていました。進路を考慮して行動する際には自ずと社会の仕組みや実情を知らされることとなるからです。机上学だけでなく実社会経験を積む必要がある、それも首都で…そう考え、何のあてもなく上京し、深夜の清掃員や工場勤務をはじめ、苦手だった対人センスを養おうと営業職などあらゆる職種に挑戦し、30歳頃までには自分でも呆れるほどの転職回数となっていました。その多くが契約社員や派遣やバイトでしたが、金銭報酬を除いては十分に得ることができたそれらの経験から、私が辿り着いた結論らしきものは・・・・

「この物質世界に人間が存在する理由は、ネガティブエネルギー生産ファームとしてなのか!?」

陰陽のバランスで成り立つ宇宙の中で「喜び」「楽しみ」を感じるためには、「悲しみ」「苦しみ」が必要なのは事実でしょう。それにしても、直接・間接・未公表・潜在予備軍を含めて「自殺者」の数がこれほどまでに昇るような文明の在り方は、明らかに何かがおかしいのではないでしょうか。ニートや引き籠りのような形で認識さているケースだけでなく、社会人として一見普通に暮らして肉体での健康診断はパスできていても、感情を押し殺しながら惰性だけで日々をやり過ごしている「生きる屍」の数は、いったいどれほどのものでしょう。生産性を著しく落とさぬよう適度な自由は与えられど、所詮は檻の中、希望もなく死を待つのみの家畜同然・・・・口にはせずとも、薄々そう感じている人々です。

私と同様に、そんな社会の在り様に対して切に変化を求めている人は大勢いらっしゃることでしょう。でも私自身も長らくそうであったように、多くの人々はただ諦めてしまっているのではないでしょうか。この処方に関して私が最も懸念するのが、「革命」の名の下で既存社会に闘いを挑む行為は、また新たな歪みを社会に生むだけの結果に陥りがちであるということです。それは残念ながら、ネガティブエネルギー供給の更なる貢献に終わってしまうという皮肉を意味します。では、どうすれば?

その鍵は、特定の何かや誰かに依存しないこと!組織化はネガティブの温床です。企業も政党政治も宗教団体も、対立構図の発生に貢献はすれど部外者を含む真に豊かな社会の実現に至らないのには、それなりの理由があります。その理由とは、人の本質は「非物質」だからなのです。それを世間では無意識や潜在意識を含め、広義で「意識」と呼ばれています。「霊」「魂」と言ってもよいでしょう。賛同して集まってくる肉体の数を競い、金銭や物質や名誉でどんな刺激を与えようとも、社会を構成する個人ひとりひとりの意識が変化しなければ根本は変わりません。人種や身体的特徴はもちろんのこと、学歴、資格、国や地域、所属組織名などの肩書や生活環境などから「どこに属している人なのか」を重要視している人は自覚のない依存傾向なのであり、そのままでは自らの意識変革を避け続ける結果となります。物質世界では本来は万人が無所属であり、並行して同時存在する高次元に行くほど万人が同じ意識としてつながっており、自立した各々が融合するところに物質人間社会の醍醐味がある・・・私はそう捉えています。意識世界では元々つながっているのですから、今の文明に蔓延している組織化や所有の概念など不要なのです。人が、地球自体である「土地」に価格をつけて売買しているという事実だけとってみても、唯物と搾取を基盤とする現文明の途轍もない奢りと歪みが顕れているのではないでしょうか。

「意識」とは、脳の産物ではありません。非物質世界にて物理拘束を受けずに元々存在している、「人の本来の姿」なのです。皆が普通に、仏壇、神棚、墓を前にしては故人や高次元の「意識」と交流しています。意識の宿る器である物質=「肉体」と、それを取り巻く物理環境がどうであろうとも、人の本質は肉体の有無を問わず非物質の「意識」なのです。その仕組みを万人が理解することこそ、真に豊かで幸せな地上物質社会の実現に繋がる! そう考えながら数々の職歴を経てきた私は今、「意識変革コンサルタント」として活動しています。

30代になって、たまたま経営コンサルタント業の零細企業に就職した私は、多くの中小零細企業の内情を知り尽くす立場に置かれる日々の中で、ビジネスにおいてこそ意識の持ち方が最も如実に業績に反映する事実に気付いたのです。一定以上規模の組織では、それが幸せにつながるかどうかは別にしまして「出世競争」という、わかりやすい金銭名誉欲でもって仕事に前向きになれるのですが、出世が動機とはなりにくい中小零細企業の場合、「本音を言うと今の暮らしに納得していない」「不本意だが僅かな給料を得るために仕方なく我慢している」…等の意識で取り組む仕事では、良くても最低限の成果しか挙げられません。逆に言いますと、接する相手の意識の在りようを変えるきっかけを提供できるならば、その法人や業界事情に精通していなくとも、対個人の観点だけで業績に反映する貢献が確実にできるということであります。その道を熟知している社長が長年伝え続けても従業員に響かなかった内容が、全く別の切り口でなら短期間に伝え得ることが実際に多々あり、当人の言動行動が変化して行く様子を見た社長をはじめ、周りのスタッフや関連業者や顧客、何より当人が喜ぶ姿・・・・ ありがたいことに、それらを見届けることができる私にも大きな喜びや達成感が与えられ、それが次への情熱やモチベーションとなってきたのでした。

各種コンサルティングやコーチングはもちろん、セミナー・ワークショップの企画・開催、出版など、その時々の私にできる事をコツコツ実践し続けることで一人でも多くの人と出逢い、物理的に逢えなくとも間接関与することで、その相手と周りを囲む人々の幸せにつながる意識変革のきっかけを提供できれば・・・・微力ながらもそのような働きかけが新たな連鎖を起こし、摩擦や競争を経ない社会変革へと徐々に結びついて行くものだと、私は考えています。

「こんな真っ当なことを表明していただけで、周りから『怪しい』と思われていたような時代があった」

そう言われる時が、この社会に一日も早く訪れることを夢見て精進しております。そんな頃には、搾取で成り立っているような国家・自治体・企業はもちろん、「宗教」「政治」「金融・保険」「軍・警察」等の組織も不要の社会となっていることでしょう。そして… そう。「夢」とは見るのみでなく、叶えるもの。
これは長らく孤立の続いた地球文明が、周りの星々とも交流可能となる最低レベルにまで、やっと戻れる事をも意味します。

この自己紹介文が、私の「怪しさ」をより深く理解いただける一助となりますように!
ここまでお読みくださった貴方に感謝します。ありがとうございました。
私を凌ぐ怪しい人物が次々と台頭し、私なんぞ平々凡々として扱われる時代の到来を信じて・・・